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  • アジアクリックさんの記事『カンボジアで日本食ブーム!人気日本食レストランに共通する特徴とは?』
    makoto (01/27)
  • インタビュー連載vol.4 龍山秀一さんへのインタビュー総集編
    山崎 (09/07)
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ノマドライフクリエーター達の自由で活動的な日々を紹介しています。
インタビュー企画第5回<後編>カングロ・コーポレーション代表取締役社長 藤井利幸さん

インタビュー企画第5回後編は、引き続き

22世紀へと続く人と組織の革新・変革を支援するイノベーションコンサルティング集団

『カングロ・コーポレーション』の代表である藤井利幸さんに

ご登場頂きました。

コンサルタントとして企業のサポート事業はもちろん、

プレイヤーとしてアフリカでの事業を実現させた藤井さんの、

素晴らしいビジネスセンスを学ぶ事の出来る貴重なインタビューとなりました。

後編では現在のお仕事について詳しく伺いました。



カングロ・コーポレーションの公式サイト

http://www.geocities.jp/kanglocorp/


藤井利幸さんプロフィールはこちら

http://www.geocities.jp/kanglocorp/profile1.html




藤井さん流の経営戦略についてもうすこし詳しく教えて頂けますか?


みなさんもご存知の通り、

リーマンショック以降日本にも多大な経済的ダメージがありました。

そのときなにかインパクトのある経営戦略のケーススタディを

打ち出したいと考えて、 僕が研究対象としたのが 

ラスベガスのザッポスという靴のオンラインショップの会社でした。


なるほど。リーマンショックにも負けない会社の秘密を探られたのですね。


実際にラスベガスに行って会社を見て、その組織のあり方には心酔しました。 

ザッポスは凄くユニークな会社で、社員の幸せが第一という考え方が

一番の経営戦略なんです。

そこに集中すると自然と売り上げも高まると。

自分の生活が楽しくなければ他人の幸せ、

つまり満足を本気で願う事はできないわけですよ。


確かにそうですよね。自分が幸せでなかったら、

良いサービスを提供し続ける事は難しいです。義務感で仕事をしてしまいそうです。

でも義務感では本当に必要とされていることを見失ってしまいそうです。


その通りです。

加えて、特にオンラインショップ経営は、差別化がとても難しいんです。 

人を介さないことがオンラインショップの便利な所な訳ですから・・・。 

しかし、 それに対して顧客満足を本気で願う会社が差別化の為に選んだ選択が、

 ”コールセンターの充実化なのです。 つまり、ベタベタな人間力なんですよ。 

オンラインショップなのに人間力?と感じると思います。 

でもそれが社員の幸せが第一を掲げてきた会社だからこそ

発想できた戦略なんだと思います。


なるほど。本当に必要とされているのはオンラインで購入した靴の

アフターサービスなのだと、 気付いたんですね。


こうしてザッポスはコールセンター

(ザッポス社ではカスタマー・ロイヤルティ・チームという)

の充実にものすごく大きな力を注いだわけです。 

電話をかけたお客様が本当に感激したっていう

WOW』なエピソードが実際に沢山あって。 

「すごい会社」があると、アメリカで一気に噂が広まったんです。


実店舗でなく、オンラインショップが口コミで広がるというのは凄いですね。


ザッポスはたった10年で1000億円企業に成長し、

2009年にamazon1200億円で買収されました。

僕はこのビジネルモデルからは学べることが沢山あると確信しました。

さっきお話ししたことに繋がりますが、

amazonができるだけ人を介さずに商品を届けようとする

システム充実型のオンラインショップであるのに対し、 

ザッポスはベタベタに人を介してサービスを充実させる会社なんですね。 

ただ、顧客満足度を高め続けるという目標は当時から両者とも一緒だったそうです。

ですから元々ライバル会社であったamazonが、 

ザッポスから学ぼうとしたその結果が、

1200億円という大金での買収だったのだと思います。


社員の幸せが第一という考え方は

実際に社内で学ばれた藤井さんにも感じられましたか?


勿論です。 5000人もの社員が月曜日が待ち遠しいというんですよ。 

それだから僕はザッポスという会社のマネージメントや経営のあり方などを 

日本にぜひ紹介したいと感じたんです。 

そしてザッポスがなんで成功したのかコンサルタントの目から検証し、 

日本企業に移植したいと考えました。


具体的にはどのように活動されているんですか?


1つは日本の経営者を実際にザッポスを見せに、 

ラスベガスに連れて行くという研修ツアーをやっています。

年3回くらいですが色んな会社の方に参加して貰っており、大好評です。 

2つ目はセミナー『イノベーションサロンZ』です。 

これは、アメリカの会社で成功した事は

そのままでは日本企業では通用しないといわれるから 

ザッポスのやり方に近い日本の企業を研究しようという試みです。

ZはザッポスのZなんですよ。 

ザッポスのような精神をもった会社が

世界にイノベーションを起こすのだと僕は信じています。


セミナーや研修ツアー以外にはどんな事業をなさっているのですか?


セミナーや研修ツアー以外には、企業の変革能力を高めるための

コンサルティングメニューを持ちそれを提供しています。

加えて、プレーヤーとしてアフリカを舞台にした事業も行っています。 

アフリカに興味を持ったきっかけをよく聞かれますが・・・ 

まず僕の場合は小さい頃から祖父の影響で、 

人の役に立ちたいと言う気持ちが強く在りました。

そして小学校3年生の頃、飢餓に苦しむ子供の広告を初めて見た時の衝撃が、

今に影響していると思います。 本当に今でも忘れられません。

それはナイジェリアで250万人もの人たちが餓死したという大変な事件(ビアフラ戦争)

を扱った広告だったんですが、 当時そのことは世界中のだれも知らなかったんです。

隠された残酷な真実に対して、

子供心に「おかしい、なんなんだこれは」と思いました。 

そして大人になってアフリカに事業を通じて関わりたいと思いました。 

早稲田の大学院を出たナイジェリア人と出会ったこともきっかけになり、

昨年カングロのアフリカ現地法人を創ることができました。

彼は非常に優秀なエンジニアで、

地元に帰って大統領になりたいと思っているような ガッツもある人物でした。 

こんな風に良い出会いにも助けられて、今の僕があるのだと思います。


アフリカでの事業内容を教えて下さい。


日本の技術でアフリカの水問題、エネルギー問題、

食糧問題、環境問題を解決するというのが主な事業内容になっています。 

収益化はこれからですが、他の事業から資金を注入してで成長させている所です。

模索しながら運営するなかで、

機械モノを輸出するのは大変だということが分かってきました。 

そこで今はナイジェリアで養蚕事業を進めています。

ナイジェリアはキャッサバ(タピオカともいう)が世界最大の生産地で、

その葉を食べる蚕がいるんです。 

その蚕を育てて繭や蛹などを有効利用する事業を、

既にナイジェリアの2つの州からオファーを頂いて、

現地の雇用創出と産業化プロジェクトとして実施しているところです。 

この事業にたどり着いて、

やっとプレイヤーになれる仕事ができたという実感があります。


多岐に渡る事業内容に驚くとともに、こうしてお話を御伺いすると、 

子供の頃から今に至るまで、すべてがきちんと繋がっていること、

その実現力に感動してしまいました。


小さい頃に世界の真実に対する衝撃を持った事、 

優しい心を持った尊敬する祖父からの教え。 

それらが今の自分を形作ったのかもしれません。

企業研究から多くを学び、

他社の成長を助けるという今までの僕の仕事があったからこそ 

今こうして他国への助けが事業として出来るようになったのだと思いますし、

海外での企業研究にしても、

リクルート社で飛び込み営業をしていた経験を海外でも発揮できたから

成功した事ですし、こうして振り返ると一つ一つの経験が

未来の自分に繋がっていることを感じます。 

これからも真実ときちんと向き合いながら、

学ぶ事を止めずに、人の役に立つ事業をやっていきたいと思います。


藤井さんありがとうございました!


| インタビュー記事 | 22:00 | comments(0) | - | - |
インタビュー企画第5回<前編>カングロ・コーポレーション代表取締役社長 藤井利幸さん
インタビュー企画第5回前編は、
22世紀へと続く人と組織の革新・変革を支援するイノベーションコンサルティング集団
カングロ・コーポレーション』の代表である藤井利幸さんに
ご登場頂きました。
コンサルタントとして企業のサポート事業はもちろん、
プレイヤーとしてアフリカでの事業を実現させた藤井さんの、
素晴らしいビジネスセンスを学ぶ事の出来る貴重なインタビューとなりました。
まずは前半と言う事で生い立ちから御伺いしました。
どうぞご覧下さい。


カングロ・コーポレーションの公式サイト

藤井利幸さんプロフィールはこちら



☆小さい頃はどんなお子さんだったのですか?


僕は茨城県東海村で生まれました。
 周りには畑や田んぼがたくさんあったので 自然に外で遊ぶのが好きな子供になりましたね。
 とくにガキ大将という訳ではなかったですが、活発だったと思います。


☆スポーツや部活動はなさっていましたか?


僕は野球が大好きで、大学までずっと続けました。
外野を守って、バッティングに力をいれていましたね。
普通の野球少年と少し違ったことは、僕は高校の頃から指導者志望だったことです。
つまり、監督になりたかったんです
 大学は筑波大学に進学したのですが、3年目からは2軍の監督をさせていただきました。
筑波大は大学野球界の中では強いチームでしたから楽しかったですね。


☆確かに珍しいですね。
大学の授業でも教育者・指導者としての勉強を積まれていたのですか?


そうですね。 
大学の授業で教育学を学びながら野球部の監督を経験して、
指導者としての世界を広げていきました。 
大学生活後半には教育実習もして、教員免許も取りました。 
しかし僕の場合は教育実習をきっかけに企業への就職に方向転換したんです。
ずっと同じ授業を40年とかやると思ったら、僕は違う事がしたいなと思いまして。  


☆それで卒業後は就職なさったんですね。
どんな会社でどういったお仕事をなさっていたのですか?


僕は1992年に株式会社リクルートに就職しました。
 バブルがはじける直前でした。 
リクルート社はとても面白い会社で
とにかく沢山の経営者の方に会う事ができるのが魅力でした。
人材総合サービスという部署で、
お客様の会社の採用計画を立てるのが僕の主な仕事でした。 
競争が激しい会社でしたので、当然負けん気も強くなりましたし、
 当時は社内報で全国の営業担当のトップに載ってないと嫌だったんですよ。
 働かされている感覚がなかったので時々会社の床で寝泊りするくらい打ち込んでいました。
 今の時代ならブラック企業だなんて言われてしまいますね(笑 
独立するまでの12年間は、とくかく鍛えられました。


☆12年リクルートの社員として走り続けてきたなかで、
独立に至ったきっかけはなんだったのでしょうか?


きっかけは 僕自身が経営のプレイヤーになりたいと思ったからです。 
リクルートの仕事というのは、お客さまの経営支援なんです。 
つまりプレイヤーではなくサポーターなんですよね。 
僕はどんな上場企業だろうと社長に会うようにしていましたから、 
社長によく言われたんです。 
お前にプレイヤーができるのか?とか、 
人材面ではスペシャリストだけど、経営はできるのか?とか。 
確かにそういう経験が僕にはありませんでした。
でもチャレンジしたい気持ちは勿論ありました。 
そこで当時お客様だったある会社の事業再生を任されたことをきっかけに
リクルート社を卒業しました。


☆サポーターからプレイヤーになられたわけですね。


はい。プレイヤーとしてちゃんと自分の会社を創ろうと決意し、
 事業再生のコンサルティングに特化した会社を創りました。 
といっても法人化はもう少し先です。 当時から僕の会社は 金融面ではなく、
よりよい組織作りや営業戦略からのコンサルを売りにしていました。


☆独立されるときにご家族から反対されたりしませんでしたか?


35歳で独立しましたが、ご家族にはとくに反対されませんでしたね。 
妻は僕の性格をよくわかってくれているんでしょうね。 
普通ならば大きな会社から独立するなんて、
反対されても仕方が無いと思うんですが・・・。 
本当にありがたいことです。


☆独立後のお仕事は順調でしたか?


事業再生のコンサルティングは3年やりました。 
出来る限り会社の内部に入っていって、結果もしっかり残す事ができました。 
そしてもっと扱える案件を広げたいと考えて、 
JDパワーという顧客満足度調査を行うアメリカの会社の 
日本法人で修行をさせていただきました。 
この会社を修業先に決めたのは、 
お客様の声を会社の改革に反映する方法論を見つけたいと感じたからです。


☆そして修行を終えていよいよ2010年に法人化されたんですね。


はい。2010年、正式にカングロ株式会社として法人化しました。 
カングロというのは、 感謝for the グローバルという言葉を短縮した造語です。
日本法人のほうではイノベーションコンサルティングを標榜して、
企業の変革支援を行っています。
事業再生というとネガティブなイメージを持たれる方も多いと思いますが、
そうではなく、企業として時代の変化に対応していくことや
組織の革新能力を伸ばすと言うような アイデアをもってやっています。 
顧客は法人のお客様で、沢山の顧客を抱えることはせず、 
常時2〜3社をじっくり見させて頂いています。



カングロ・コーポレーションの公式サイト

藤井利幸さんプロフィールはこちら



以上が前編になります。
インタビュー後半では現在のお仕事、アフリカ進出についても詳しく御伺いしました。
後編にご期待下さいませ。次回の更新は来週の予定です!
| インタビュー記事 | 20:46 | comments(0) | - | - |
インタビュー企画第4回後編 KM Pacific Investments Inc.代表取締役社長 枡田耕治さん
インタビュー企画第4回<後編>は、前編に引き続き
KM Pacific Investments Inc.代表取締役社長 枡田 耕治さんにご登場頂きました。

<プロフィール>


KM Pacific Investments Inc.代表取締役社長 枡田 耕治、CCIM、CPM

1969年(昭和44年)7月22日に神奈川県横浜市に生まれる。
その後幼児期に現住所の藤沢市に移る。
13歳でカナダのビクトリアへ留学生として、
セントマイケルズ・ユニバーシティースクールへ転校。

1990年より北米西海岸のオフィス・ポートフォリオの運営・運用に携わる。
前職のAMB プロパティー・ジャパン(現Prologis)では、
アセットマネージャーとして
約34万平米の自走式大型複合倉庫(365億円相当)の
物件を運営、ポートフォリオを運用。
Certified Commercial Investment Member及び
Certified Property Managerの称号を取得。

学歴はワシントン州立大学(米国シアトル市)にてExecutive MBA、
パデュー大学(米国インディアナ州)にて経営学学士を取得。

趣味はラグビー、ヨットとジョギング。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 ◎今のお仕事についてお聞かせ下さい。


今はカナダのバンクーバーというところで

不動産投資・管理会社を営んでいます。

他国内資産運用会社と差別化を図る為にも、

投資先市場でハンズオンを重要視した投資運用を行なっています。

業務内容については

、古い倉庫物件等を改築して新規賃貸ビルとして提供する事です。

新しい価値を生み出す、隙間産業的な位置づけと

自分の感性と市場の読みが勝負になるので、

とても遣り甲斐があり面白い仕事です。


今やっと一物件目の改築が大詰めに来た所です。

弊社のHP(若しくはFB)で状況を常にアップしていますので、

良かったら覗いてみて下さい。



◎これからの目標や、枡田さんにとっての成功とは何か、教えて下さい。


僕は一人の日本人として、「日本人って凄いんだ」ということを、

世界にもっと発信したいと思っています。投資の面では

バブル崩壊後は、海外進出して失敗した日本の不動産投資会社は

世界からあざ笑われました。

もちろんアメリカの国政の被害を受けた会社もありました。

基本的な土地へのコンセプトが違った為に、

日本の不動産は世界では通用しなかった。

でも今では現地の人間と張り合って、

物件購入をして市場性を競ってます。

また「輪」、「和」というコンセプトは

日本人がもっと胸を張って誇りに思う事だと思います。

「おもてなし」もそうです。相手の懐に入り込んで、

相手が把握出来ていないニーズを与える。

こんな高度な事を提供出来るすばらしい民族は、

世界何処を探しても日本人以外いないと思います。


僕は日本人はもっと世界に挑戦し勝負に出るべきだと思うんです。

だから僕は”ペリーの黒船”じゃないですが、

「逆黒船」で日本から外に出て、「日本人は力強いんだ」と、

存在をアピールし続けたいと思っています。

そして、もう一度自らの力で開拓していく日本の不動産を

世界地図に載せたいんです。


僕にとっての成功は、枡田だから任せたいと思って頂ける仕事を増やす事です。

お金ではなく、信頼と共感してもらえる人とぎりぎりまで切磋琢磨し合う事です。

そして、社会の中で生かされている事を理解し、共存し、人類の向上に貢献する。

そしていかなる時にも群れの前に立ち牽引する事を恐れない。

これが枡田に伝わるノーブルスオブリガス(Nobles Oblige)です。

もちろん枡田家は田舎出の一般庶民家ですが。


その積み重ねで会社も自分も成長して行き、社会が良くなる。

それこそが成功なんだと思います。


今後は他の投資家達とも組んで、

ビルの再開発を含めたファンドビジネスや不動産サービス業等にも

参入して行きたいと思っています。



◎最後に、小さいころから日本を客観的にみていらした

枡田さんだからこそわかる、読者の皆さんへのアドバイスを頂戴できますか?


もっと皆さんに海外に出てもらいたいですね。

ツアーやリゾート巡りでなく、

自分の足で今とは違う価値観を身につけてほしいです。

海外が無理なら、日本国内をリュックを背負って歩いてみては如何でしょうか?

いつもとは違う方法で達成感を味わうと新しい自分を見つけられると思います。


そしてもっともっと日本人である事に誇りを持って、

自分をアピールして欲しいと思います。

世界では皆さんが日本の代表なのですから。



◎枡田さん、ありがとうございました!


枡田さんの会社HPはこちら→kmpacific.com
ご質問等はkojim@kmpacific.comまでお願い致します。
フェイスブックはKM Pacific Investments Inc.です。


| インタビュー記事 | 21:00 | comments(0) | - | - |
インタビュー企画第4回前編 KM Pacific Investments Inc.代表取締役社長 枡田耕治さん
インタビュー企画第4回<前編>は、
KM Pacific Investments Inc.代表取締役社長 枡田 耕治さんにご登場頂きました。

<プロフィール>


KM Pacific Investments Inc.代表取締役社長 枡田 耕治、CCIM、CPM

1969年(昭和44年)7月22日に神奈川県横浜市に生まれる。
その後幼児期に現住所の藤沢市に移る。
13歳でカナダのビクトリアへ留学生として、
セントマイケルズ・ユニバーシティースクールへ転校。

1990年より北米西海岸のオフィス・ポートフォリオの運営・運用に携わる。
前職のAMB プロパティー・ジャパン(現Prologis)では、
アセットマネージャーとして約34万平米の自走式大型複合倉庫(365億円相当)の
物件を運営、ポートフォリオを運用。
Certified Commercial Investment Member及び
Certified Property Managerの称号を取得。

学歴はワシントン州立大学(米国シアトル市)にてExecutive MBA、
パデュー大学(米国インディアナ州)にて経営学学士を取得。

趣味はラグビー、ヨットとジョギング。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



◎現在カナダを中心にグローバルにご活躍の枡田さんですが、
海外進出のきっかけはなんだったのでしょうか?


僕は神奈川県の横浜で不動産業を営む家系のもとに生まれました。


父は当時の日本では圧倒的にグローバル意識が強く、
1970年代にはアメリカに不動産投資で進出していました。
昭和一桁世代で生まれた父親ですから、
本当は自分も留学して学びたかったという夢があったんだと思います。
その夢を我々息子二人に託す為、僕が中学2年、弟が小学校卒業時に
カナダのボーディングスクールに転校しました。


◎14歳で留学!凄いですね。お母様に反対されたり、
行きたくないと言ったりしなかったんですか?

我が家は父を中心とした封建的な家庭でした。
先々代は枡田組という建築屋の棟梁でしたから。(笑)
母も最初は反対しましたが、
仕方なく賛成してましたね。
僕は友達と離れるのが嫌だったので、全く行く気はありませんでした。
出発迄の5ヶ月間は父親の顔を見るたびに、ひたすら拒否していました。(笑)
でも最終的には「兄貴として」行く事になりましたけどね。
弟のほうは事の重大さがわかっていなかったのか、
割とあっけらかんとして、素直に賛成して行く気満々でした。
ただその分、彼の方が実際に行ってからのホームシックが酷かったようでしたね。

でも今ではこの経験が人生最高のステップアップでした。


◎実際のボーディングスクールでの生活はいかがでしたか?

ボーディングスクールというのは全寮制の寄宿学校なんですが、
英語が出来なかったので、まず全く言葉が通じなかったですね(笑)

今でも覚えているのは、学校の
寄宿長に念のために警察と
救急車の呼び方を教えてほしいと頼んだ時の会話が30分ぐらい掛かったことです。
一字ずつ和英と英和辞典を見せ合って、単語一文字ずつ指して「会話」してたんですから。
今考えると可愛いもんですね(笑)
これが初めて通じあえた「英会話」でした。正直とっても嬉しかったですね。
30年経った今でも覚えてる訳ですから。この頃は毎日辞書を抱えての生活でした。
ただ辞書って単語はわかっても文章にはできないから、
「ハァ?」なんて言われる事もしょっちゅうでした。
でもそんな僕でもつき合ってくれる親友が出来、彼らとはいまだに付き合いが深いですよ。


◎なるほど。素晴らしい体験だと感動すると同時に、
ストレスも大きかったのではないかと思います。

そうですね。英語がちゃんと書けるようになるまで4年はかかりましたね。
大学の論文は中身の採点より、英語の修正の為に赤ペンで埋め尽くされてました。
ただ数学なんかは英語を使わなくていいので、高校でも一番上のクラスでした。
日本からも教科書は持っていってたので、中学3年の数学は夏休み中に自習しました。
そういう負けん気は当時から強かったです。
子供時からスポーツで鍛えられてましたから(笑)
部活はサッカーが無かったので、ラグビーをやってました。
カナダ国内の強豪チームの一軍選手としてプレーして、
イギリスや日本等への遠征にも行きました。

ラグビーは結局社会人になってもやってましたし、
自分のなかでは海外で生活する上での大きな支えでした。


◎グローバルなご家族ですね。枡田さんは大学ではどんな勉強をなさっていたのでしょうか?

僕はカナダのボーディングスクールを卒業した後、アメリカの大学に進学しました。
理数系に強い大学で、パディユー大学というインディアナ州にある州立大学へ行きました。
学部では経済を専攻し、
大学院はシアトルにあるワシントン大学でエグゼクティブMBAを取得しました。
エグゼクティブというのは特化したメジャーを勉強するのではなく、会社運営を学ぶ、
経営者育成スクールというイメージですね。
でもすごく力がつきました。精神的にもすごく試されましたし。
仕事している時間を除くと、
家族といる時間より5人のチームメートと一緒にいる時間の方が多かったですからね。
チームメイトも今は北米全域に散らばっていますが、会える機会があれば今でも集まってます。


◎就職はアメリカでなさったんですか?

卒業するとき日本の企業からは複数のオファーを頂いたのですが、
そのころの僕は日本に帰りたくなかったんです。
僕はアメリカで働きたかったんです。自分の力を試すためにも。

でも日本の企業のオファーを全部お断りしたら、行く所がなくなってしまって。
結局その時は父親に頭を下げましたね。
父親の不動産会社がNYに進出して、そこで研修員として働く事になりました。
NYに1年半、シアトルで1年半、計3年アメリカで働きました。

しかし、その後家業を離れて日本で起業したんですが、
2年でお金がなくなって会社を潰しました。
本当に甘かったです。
清算した後は前の奥さんに食べさせてもらいながら日雇いの生活をしました。
毎朝会社に電話して仕事を頂くんです。
運良ければ、仕事を貰えますが全くない日もありました。
やっていた事は主に、引っ越し手伝い、警備員、バーゲンの売り子などです。
その時に支えてくれた元奥さんには、今でも感謝しています。


数年後、東京で不動産ファンド会社勤務時に、父親から戻ってこないかと誘いがあり、
それが今の会社の始まりです。




次回は後編!今のお仕事についてや、これからの目標、
日本の皆様へのメッセージをお伺いします。



枡田さんの会社HPはこちら→kmpacific.com
ご質問等はkojim@kmpacific.comまでお願い致します。
フェースブックはKM Pacific Investments Inc.です。

| インタビュー記事 | 21:35 | comments(0) | - | - |
インタビュー企画第3回 佐久間辰雄先生のお話
インタビュー企画第3回目は
健康管理士一般指導員、サプリメント管理士として
各地で健康セミナーを開催されている、
佐久間辰雄先生にご登場頂きました。

佐久間先生の力強いお言葉に、心も身体も元気になる、
そんなインタビューとなりました。

 

≪佐久間辰雄先生 プロフィール≫



健康管理士一般指導員
サプリメント管理士

(1940年1月生) 東京都台東区浅草出身

  現在栃木県宇都宮市に在住。1968年に28歳で宇都宮郊外に建材会社設立、
年商55億円、5工場、7営業所に拡大するも、2002年に廃業。
1985年より20余年間に予防医学の研究の為、東南アジア、台湾、韓国、中国、米国等に渡り広く知識を吸収、その間 39歳で栃木県某協同組合理事長、県高P連副会長歴任。宇都宮北ロータリークラブ会員(現在退会中)。

日本成人病予防協会・健康管理士一般指導員の資格を取得・サプリメント管理士マスターコースを修了し、予防医学・代替医療のスペシャリストを目指す。

栃木県赤十字血液センター臨時講師、宇都宮大学国際学部外部評価委員を歴任。
現在、栃木県健康管理士会会長 天然ゴム海外投資アドバイザー。
市民活動をファシリテーターとして貢献。

健康管理士一般指導員で医師とは異なる立場から健康相談。
ブログ・・・「ひげおやじのピンコロ人生」予防医学で健康アドバイス
をしています。


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◎佐久間先生はもともと会社を経営なさっていたと伺いましたが、そのころから健康管理に興味があったのですか?
 
もともと私は大学の建築学科を卒業してスーパーマーケットの設計をしていたんです。
特にお客様の導線(動線)を意識した設計をしていました。ヘルスケアとはまったく関係ない仕事ですよね。
ただ親元から早く離れたかったという希望がずっとありまして・・・建築士をやめて、28歳でコンクリート業で独立したんです。
当時は不摂生もそりゃあ沢山していましたよ(笑
 
 
◎そもそも健康管理に興味を持つようになったのはいつ頃だったのですか?
 
コンクリート製造の視察で35歳のとき、中国に行ったんです。
そこで漢方を中心とした東洋医学に出会って非常に興味を持ちました。
中国に留学したくて学校に問い合わせたりしたんですが、
中国語が全く出来なかったので、叶いませんでしたね(笑)
 
◎すごい行動力ですね。東洋医学のどんなところに魅力を感じましたか?
 
西洋医学では臓器をそれぞれ個別の器官だと考えていて、
そこにだけ効くような薬を処方するんですが、(いわゆる対症療法)
東洋医学では臓器は身体という一つのものの一部と考えていて、
身体の一カ所だけを直すと言う考え方ではないのですね。
一カ所だけ直しても意味が無いし、そもそもなぜそこが悪くなったのかを
考えるほうが大切だと言う考え方です。
私はここに凄く共感しましたね。
それから東洋医学では針やお灸といった治療と薬の処方を合わせて治療しています。
日本では残念ながら針って、目の不自由な方の職業と誤解され、
医療行為というイメージがあまりないですよね。
 
◎健康セミナーはいつごろから始められたのですか?
 
会社のほうは前半は順調でしたが後半はバブルがはじけたこともあり
40周年を目前に閉める事にしました。
会社閉鎖の2年程前から、ネットワークビジネスで、サプリメントの販売を始めました。
中国視察以降、健康志向が強くなった事もあり、興味深く、また初めは売り上げも良かったので一生懸命やってましたね。
しかし、ネットワークビジネスってていうのは皆さんご存知の通り、最初は儲かるので
続けるんですが、段々と交友関係も狭くなりますし、長く続けられるものではありません。

 
しかし良い事もあって、サプリメントの販売を経験することで、
本当に良いサプリをきちんと自分の目で見分ける為に
健康管理師やサプリメント管理師の資格を積極的に取りました。
やっぱり、皆さんにお勧めできるものなのかを自分で調べたかったんですね。
 
それでその資格を使って最初はサプリメントユーザーから講演の依頼を頂いたりして、
そこから講演の経験を積んで行きました。
講演を続けていくうち、「今度はこういうテーマでお願いします」
と、サプリメント以外のテーマも依頼されるようになりました。
講演も勉強もより一層楽しくなりましたね。
 
◎需要があると感じるセミナーのトピックスを教えて下さい。
 
講演の内容はサプリだけにとどまらず、癌や、長生きなど、自分がお話しできる内容を増やして行きました。
需要があると感じるテーマはやはり癌ですね。今や、2人に1人は癌で亡くなる時代です。
一番人気のあるテーマは「100歳まで元気に生きるコツ」(笑)ですね。
医療との付き合いかたや食事療法など、自分もまだまだ勉強が追いつかないくらいです。
 
◎健康セミナーを通して、これからやりたいことをお聞かせ下さい。
 
今は癌の食事療法について力をいれています。
実際に食事をつくる料理教室の形をとったセミナーを通じて、
癌の食事療法のエキスパートを育てることが目的です。
 
また、野菜の需要と生活習慣病は反比例していて、
野菜の摂取が多ければ健康な体が維持できます。
 
多くのみなさんに是非参加してもらいたいと思っています。
 
それからコミュティーを活性化させることにも力を入れていきたいです。
健康管理や癌との付き合い方など、必要な情報はあっても、
それが地域のなかでシェアできなければ、つまり情報が届かなければ意味がありません。
ですから自治会などのコミュティーを育てることが大切なんです。
特に男性はそういう所に入っていきにくい生き物ですからね。
そういう部分でも健康セミナーを通じてサポートができれば嬉しいと思っています。
 
 
佐久間先生、ありがとうございました。

佐久間先生のブログはこちら
| インタビュー記事 | 21:22 | comments(0) | - | - |