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インタビュー企画第6回 MTC Japan L.L.C. 取締役 鬼島一彦さん
インタビュー企画第6回目の更新になります。
今回はMTC Japan L.L.C. 取締役 鬼島一彦さんにご登場頂きました。
日本とロシアを看護医療の分野で繋ぐ、 鬼島さんの生い立ちから
現在のお仕事に関する熱い想いまで、たっぷりとインタビューさせて頂きました。

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≪プロフィール≫


鬼島一彦

国際看護師
MTC Japan L.L.C. 取締役

1982年生、山形県出身。
現在サンクトペテルブルグ(ロシア)に在住。
思いは人一倍強いが、人一倍できの悪かった看護学生生活を経て、
2005年から2010年まで横浜の病院に勤務し、手術室看護師として救急医療に従事。

学生のころから国際医療活動に興味を持っており、語学を学ぶことを決意。
2010年から2011年までスペインのバルセロナにスペイン語留学。
2011年から2012年までウクライナのキエフでロシア語留学。

これまでヨーロッパを中心に20か国以上を渡り歩き、
日本語、ロシア語、英語、スペイン語、山形弁が堪能。

ほんの少しの短い時間でも、
医療を通じて患者さんの人生の一部分になることのできる

「看護師」

という仕事が大好きで、かつ、留学している中で様々な国々の医療事情を知り、
日本の予防医学、最新技術といった粋を海外と結び付け、
「世界中の人がより健康で豊かな生活が送れるために何か役に立ちたい!」
という思いから、2012年秋、ロシアに現地法人MTC Japanを立ち上げる。

現在、関東を中心に病院、大手旅行業社JTBと協業して、
日本への患者誘致するだけのメディカルツーリズムにとどまらず、
日本の予防医学そのものを地域に根付かせ、
本当の意味での世界の健康の底上げができるように日々奔走している。
看護医療の新しい可能性を見出す、先駆け的存在である。






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まずは小さい頃のお話を聞かせて下さい。
 

私は山形で生まれ育ちました。
小さい頃は完全に悪ガキでした。
しょっちゅう先生に怒られてましたし、
好きな女の子をからかったりするようなところもありました・・・。
今こうしてお話すると、恥ずかしいです(笑
 

目の前の鬼島さんは完璧なジェントルマンに見えますから、
なんだか意外ですね。スポーツや部活はやられていましたか?


叔父が指導者をしていた影響で剣道をやっていました。
かなりスパルタでしたが、叔父との修練は根性が鍛えられました。
剣道の県大会で賞を頂いたりしたんですが、
中学は体操部、高校は吹奏楽部でトロンボーンを吹いて、
常に新しい事にチャレンジする青春時代でした。
トロンボーンは今もやっていて、
病院での音楽会などで演奏できるのは嬉しいですね。

 
現在のお仕事でも生かせるのは素敵ですね。
「病院」という言葉がでてきたので続けてお伺い します。
医療に従事しようと思ったのはいつ頃でしょうか?
 

私は小さい頃からボランティア活動が好きで、
とくに地域のホームや病院で、お爺ちゃん・お婆ちゃんと話すのが好きでした。
うちは核家族だったので、周の大人とコミュニケーションを取れる事に
とても好奇心を刺激されましたし、活動を通じて人の役に立てる事に、
純粋に喜びを感じました。
そういう人とのふれあいのなかで、高校生の時に看護師になろうと決めました。


難関である国立の医療専門学校に進まれたとお伺いしました。
学生生活はいかがでしたか?


確かに、国立だったので受験は大変でしたけれど、その分学費が安 かったので
助かる部分もありました。
3年間、看護専門学校で女の子に囲まれて過ごしました。
男がクラスに数人しかいないような環境でしたけど、
意外と違和感なく・・・笑
というか、皆とても仲良くしてくれました。


こうして伺っていると、ここまで夢に向かって順風満帆で、
スポーツも音楽もできてイケメンで、
周りには女の子だらけ、なんて、ちょっと嫉妬しちゃいます!


と、思っていただけたところで続きがあるんです(笑
このころまで思った通りに結果がついてきたので、
「このままなんとなくやってればいいんだ」と甘く考えていたため、
専門学校時代、一時勉強を疎かにしてしまったんです。
その結果留年してしまい、それがダラけた考えを改めるきっかけに なりました。
看護師は人の命を預かる仕事です。当時の私にはその自覚が足りませんでした。
あのままではいけなかった。留年して心を入れ替えることができて、良かった思います。
1年遅れた分、人の何倍も努力しないといけないと考えて、
働きはじめてからは激務といわれる救急担当の看護師に志願しまし た。


それまでの自分を見つめ直すキッカケが、学生時代にあったのですね。
今はロシアを拠点にお仕事をなっているということですが、
海外へ目を向けたきっかけを教えて下さい。
 

海外にはじめて行ったのは就職する前に家族で行った、イタリアでした。
初めて降り立った外国には本当に好奇心を駆り立てられ、
まさに自分の世界が広がった瞬間でした。
また絶対に来てやろうと思いましたね。

就職してから2年で別の病院に転職したんですが、
その転職の合間 に上手く時間を作って、
今度は一人でヨーロッパを旅して廻りました。

ポーランド・ドイツ・オランダ・ベルギー・
イギリス・フランス・ スペイン・イタリアと。
今思えばこの旅は、海外は旅行するところなのか、
住むべきところなのかを確かめる為の旅でした。


留学を強く意識されるようになったのですね。
 

はい。本当はすぐにでも留学したかったですが、
看護師としてまだスキルアップをしないといけない時期でしたから、
27歳まで看護師として働いて、技術を磨き、お金を貯め、
まずスペインに留学しました。
なぜスペインかというと、街の美しさもそうですが、
スペイン語圏の広さがやはり大きな決め手でした。
結果的に今はスペイン語を使う機会はあまりありませんが、
当時は 国境なき医師団で活躍する事も夢見ていました。

 
そのおかげで今、鬼島さんは日本語、英語、ロシア語、スペイン語を操る
マルチリンガルになられたのですね。
ロシアへ興味を持たれたのは何故だったのでしょうか?


実は妻と知り合ったのがきっかけでもあります。妻はロシア人です。
ここから彼女の御陰もあり、
ロシア・ウクライナに非常に興味を持つようになりました。
そしてロシアについて知れば知る程、
ロシアは医療の需要が凄く高いことを感じました。
しかし、日本よりも約10年、ロシアの医療研究は遅れていました。
日本人の医療従事者としてロシアで自分にできることが
あるのではないかと思い、29歳のとき妻を連れて
ウクライナにロシア語を勉強しに行きました。
教養を深めていくうちに、私はロシアで、
自分オリジナルの医療ビジネスができると確信しました。
そしてそれは必ず、日本の医療にもロシアの医療にも貢献できることだと思いました。
そこからは無我夢中でビジネスを学び、妻と協力者と共に、
2012年に念願の会社をに立ち上げたのです。
 

今の時代、「仕事ができるか」ということよりも
「自分の仕事を創れるか」ということが
非常に重要になっていますよね。
現代的なビジネスモデルであると感じます。
具体的にはどのような業務を行っているのですか?


私がやっているのは、広く言うと『ロシアの医療水準の底上げ』で す。
例えばロシアには検診という概念がないのです。
つまり病気が手遅れになりやすい。人間ドックもないのです。
そこで私は現在『検 診という文化』を根付かせるよう、取り組んでいます。
実は医療は、予防することが一番お金が掛からないんです。
病 気が進行して入院や手術となると、非常にお金が掛かります。
悲しい事ですが、最適な治療が受けられない場合もありますよね。


もうすこし具体的な業務内容には医療インバウンドというものがあります。
ロシア人を日本の病院にコーディネートして、治療を受けてもらうという事です。
日本の大手旅行代理店と提携して活動をしています。


日本のお医者さんとロシアの患者さんを繋いでいるのですね。


医者同士を繋ぐ事が実は本命です。日露の医療交流を率先して行っています。

例えばロシア人の主な死因は心臓関係なんです。 
検診を受けないから発見されにくいというのもありますが、
日本のようにカテーテル技術や心臓外科手術主義がしっかり確立されている国と
それを必要としているロシアは
とても良い技術交流ができると思います。
日本のdoctorも将来的に相互医療行為が実現したら
お互いの国にとってより良い結果がついてくるということです。
お互いの認知が広がれば、ロシアと日本が医療というテーマで
いっそう繋がっていけると思っています。

私はロシア語も日本語も医療用語も話せますから、
お互いの国の病院から中立の立場でお話を聞くことができるのです。
これは、私にしかできないと思っています。

 
確かにその通りです。語学と医学に精通した、まさに鬼島さんならではのお仕事ですね。
 

普通の通訳さんではできない通訳ってあるんですよ。
例えば患者さんが言った『痛い』という言葉ひとつでも、
医療従事者にしか掬えないニュアンスもあるのです。
『痛い』を医療的に掘り下げない通訳は、時に大切なものを見逃すこともあります。

 
確かに怖いです。病院のなかでの外国語コミュニケーションは、
 日本もまだ発展途上でしょうね。

それでは、これからのビジネスについてお考えを聞かせて頂けますか?
また鬼島さんと同じ若手起業家へのメッセージもお願い致します。


今は会社の運営が大変ですけれども、大変な仕事だからこそライバルも居ないですし、
ロシアでどんどん前に進むしかないと思っています。
私は、ナンバーワンよりも、オンリーワンを目指すほうが、
人生を楽しめると思っているんです。

もし私が看護師のナンバーワンを目指したとして、
何十年も努力したとしても、かなり難しい と思います。

それよりも自分の個性をちゃんと理解して、
誰にもできない自分だけの仕事を すべきだと思います。

その方が、やりがいも充実感もきっとあると思いますよ。
ビジネスの成功は個性を生かすことだと、私は思っています。
ルーチンワークばかりしていると、なにも生まれないですし、
少しでも自分の生活のなかに新しい事、
チャレンジしたい事を盛り込んでいくと良いですね。
それが気づきの一歩かもしれないです。
私も看護師としてずっと病院勤務をしていたら、
今の仕事はできなかったと思います。


こうして、鬼島さんの人生を振り返って頂きましたが、
ここで感謝をしたい方はいらっしゃいますか?
 

まずは妻です。妻なしには自分はこうしていられないですね。
ロシアという国に本当の意味で興味を持ち、近づくことができ、
さらにこうして仕事ができているのは彼女の御陰です。
自分ひとりでは成し得なかったですね。
プライベートにおいてもビジネスにおいても妻はベストパートナーですから、
24時間一緒にいますが、ちっともストレスに感じません。
自分にとって運命のひとだったの だと、日々感じています。


それからビジネスについては
株式会社ノマド・グローバルの桐山さんや、
豊和設計株式会社の龍山さんなど、
諸先輩方からいつも勉強させて頂いていて、感謝の気持ちでいっぱいです。
そういう方々の影響は凄く大きいし、一生残って行くと思います。
ビジネスは生きた証です。
その証を、皆さんから受け継いだ知識が支えているというのは、私の誇りです。

 
最後にメッセージをお願い致します。
 

これから海外進出、 とくにロシア進出を考えている企業の方々には
今のロシアについてお伝えできることが沢山あると思います。
ロシアは本当に素晴らしい国です。
『先入観を持たずに、騙されたと思って一度、ロシアに来てほしいです!
よろしくお願いします!』

 


鬼島さん、ありがとうございました!
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