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ノマドライフクリエーター達の自由で活動的な日々を紹介しています。
業務提携契約専門の行政書士 遠藤祐二さんのインタビュー後編
業務提携契約専門の行政書士
遠藤祐二さんのインタビュー後編を掲載します。

まさにnomad life creator!!
当ブログの目指す姿が見えてくるような
インタビューとなりました。






◎それではいよいよ独立に至るまでのお話を聞かせて頂けますか?
 独立前に実践した成功習慣があるとお伺いしましたが・・・。

NTTの仕事でマレーシアに居たころから、独立心は強かったんですが、
やはり大きな会社で契約をまとめるという重要な役割も、
やりがいは大きく、2009年まで会社勤めを続けていました。
でも本当のところを言うと、会社をやめて独立することが怖くて
仕方がなかったんです。
そこで、会社を辞める1年ほど前から、その恐怖心を克服するために
ひとつ実践していたことがあるんです。

そもそものきっかけは、いわゆるサラリーマンではなく、
既に起業して成功しているひとに会って、話してみたいと
思ったことなんです。

それで色々なセミナーに参加するようになったんです。
最初は5000円〜1万円くらいのセミナーに
行っていたんですが、失礼ですけど、参加者の方々も
それなりの人しかいなかったんです(苦笑)
でもあるときフォトリーディングセミナーという10万円くらいする
セミナーに参加したときに、それまで参加していた安いセミナーとは、
ガラッと参加者の質が違ったんです。
これが僕が独立前にやった、っていうか今でもやっている成功習慣
とも言うべき行動パターンの初体験でした。

その時に、「高額セミナーに出席するという決断をした人達は
人生においても本物の成功者である可能性が高いのでは?」
と直感的に思ったんです。


そこで、以前の自分だったら絶対に参加しなかったような
高額セミナーに「エイヤッ!」と参加してそこにいた成功者の
オーラを浴びることをとにかくたくさんやってみたんです。
多分1年間で400万円ぐらいセミナー参加費で使ったん
じゃないかと思います(笑)


◎セミナー参加者の中で、特に影響を受けた方はいらっしゃいましたか?

あるセミナーで、20歳の女の子に出会ったんです。
50万円の、すごく高いセミナーなんですよ?はじめはビックリしましたね。
なんでこんな若い子が?って。
さらに話を聞いてみたらお父さんがいなくて、母子家庭。
大学も奨学金をもらって通っている。
新聞配達などのアルバイトをしたりして生計を立てている。

もちろん僕よりもかなり貧乏な訳ですよ。
でも彼女はそのセミナーの価値を一瞬で見抜いて、
自分が考えられるありとあらゆる手段でお金をかき集めて
参加したと言ってました。
その価値を嗅ぎ分ける力や、判断力、パワーには、敵わないな
と思いましたね。
そして、会社をいつまでたってもやめられずにウジウジしている
自分が馬鹿らしく思えてきました。そしてこういう人とただ一緒に
いるだけで、そしてそのオーラを浴びるだけで、絶対に自分は
成長できると確信しました。

このように価値ある高額なセミナーだからと言って、必ずしも
お金持ちが集まっているわけではないんです。
でも、もの凄く能力の高い人、感度の高い人が集まっている可能性が高い。
そのオーラを浴びることで、知らないうちにその人達のオーラが
自分の中にも入ってきて、いつの間にかその人達と同じ行動を取れる
ようになるんですよ。

ちなみに僕は絶対に満員電車に乗らない事にしているんです。
逆にオーラが淀むから(笑)
痴漢、悪質な酔っ払い、喧嘩、愚痴、他人の蔭口、居眠り、怠惰な感じ等々
あれほど人間のマイナスオーラが満ち満ちている空間はないですからね。

今でも定期的に成功者の人と一緒にご飯を食べたり、過ごしたりすることで
オーラを高めているんです。これは本当に大切だと思います。


◎退職と行政書士の資格取得のタイミングはいつだったのですか?

独立準備を進めている間に、
ラッキーなことに勤めていた会社がリーマンショックで経営が傾いてきて、
希望退職を募り始めたんです。
会社都合で辞められるなら、いまだ!と思いましたね。
そこで行政書士の資格を取る前に退職してしまったんです。
普通は資格を取ってから辞めますよね(笑)
試験は退職の数ヶ月後でしたが、何故か、落ちる気はしなかったですね。
あまりのタイミングの良さに、宇宙から「今がチャンスだ」と言われている
ような気持ちすらしました。丁度、2009年6月頃の話ですね。
そして宣言通りその年の試験に合格し、2010年5月に開業しました。

◎いよいよ開業ですね。すぐにセミナー業を始められたのですか?

今でこそ業務提携のセミナーを沢山やらせて頂いていますが、
開業して1年半くらいはセミナーはやってなかったんです。
実はそれまでの起業して1年の売り上げは、正直少なすぎて
ヤバかったですね(笑)
おまけに友人から頼まれて、今にして思えば怪しい投資案件に
多額のお金を投資してしまって失敗し、サラリーマン時代に貯めた
全財産がなくなってしまったんですよ(苦笑)
電話料金も払えなくていつも通話停止されていましたし、
お金がないので毎日、昼と夜は吉野家や松屋で牛丼を食べてました。
セミナーを定期的にやるようになってからは相談件数も格段に増えました。

◎業務提携契約専門という風に特化したのには理由があるんですか?

はい。
世の中のすべての事は
「絶対に必要なもの」
「なくても良いけどあったらいいなーぐらいのもの」
「なくても良いもの」
の三つに分けられるんですが、「なくても良いもの」は簡単に捨てられるんです。
「なくても良いけどあったらいいなーぐらいのもの」を捨てるのが難しい。
でもそれができないと何の意味がないんですよ。
なぜならそれが全体の7~8割ぐらいを占めるんですから。
僕はずっと、「なくても良いけどあったらいいなーぐらいのもの」を捨てられ
なかったんです。
具体的に言うと、外国人ビザとか、遺言書とか、業務提携契約以外の
案件も、何でもやりますよってスタンスだったんですね。
でもそれでは駄目でした。
「なんでもやります」って言うとお客さんは何も頼んでくれないんですよ。
『これしかやりません!』というものをはっきりさせる。
この決断と勇気が大事だったんです。
それで業務提携契約専門と名刺やHPに書くようにしたんです。
するとたくさんのお客様が日本だけでなく世界中から来るようになって、
初年度の10倍以上の売り上げを記録することができました。
それは業務提携契約専門とアピールする事で、仕事に対する絶対的な『自信』を、
お客様に感じて頂けたからだと思います。
おもしろいんですが、「業務提携契約しかやりません!」って言っているのに
「遺言状」とか「建設業の許可」とか「外国人のビザ」とかの依頼まで来るように
なりましたね(笑)
それは全部他の行政書士の先生に紹介しちゃってますけどね。

◎ずばり、独立してからのお仕事、楽しいですか?

もの凄く充実していますね。
僕のオフィスはレンタルオフィスで行政書士ばかり8人も
いるので、案件によってはチームで仕事を割り振ったりも
しています。
信頼できる仲間に囲まれて、学生のときに思い描いていた、
素晴らしいコミュニティーを築く事ができたと実感しています。
というのも、行政書士には1万種類くらい仕事があるので、
仕事の取り合いにはあまりならないんですよね(笑)
なので、競争社会が苦手な僕には本当に天職だと思っています。
夢が1つ叶ったなと、思っています。

◎これからやりたいことを是非教えて下さい。

これからやりたいことは二つあって、
ひとつは「裁判の無い世の中を創る事。」
もちろん殺人とか強盗とかの刑事裁判はなくならないと思うんです。
でも売掛金の未払いとかノウハウなどの知的財産権の侵害などの
民事に関しては僕が専門にしている業務提携契約にしても、
最初からお互いがきちんと契約交渉で互いの主張を聞き、
自分の主張をして、互いの妥協点を探し出し、それを契約書に
落とし込んでいれば、裁判なんか起こらないはずなんですよ。
記録に残すとか、書面にするとか、そういうことを世の中の人に
もっと大切にしてほしいですね。

そしてもう一つは、
「マレーシアに進出すること。」
縁のあったマレーシアで、またお仕事をしたいですね。
マレーシア半分、日本半分で仕事をしたいので、
まさにノマドライフクリエーターになりたいわけです。
我ながら、すごくいい感じに〆られたかな?(笑)


◎遠藤さん、ありがとうございました!ノマドライフクリエーターのブログに、
ピッタリの記事となりました。
これからもご活躍をお祈り致しております。



それでは最後に下記に、
遠藤さんの会社情報を記載させて頂きます。
セミナー情報など、是非チェックして下さいませ。



************************************** 

マスター行政書士事務所 
業務提携契約専門の行政書士 遠藤祐二 

 〒135-0016 東京都江東区東陽2-4-39   新東陽ビル4階 42号室 

TEL:03-5633-9668 FAX:03-5633-9669 
email:info@master-gyosei.com 

 *********************************************************
| インタビュー記事 | 19:45 | comments(0) | - | - |
業務提携契約専門の行政書士 遠藤祐二さんのインタビュー前編
業務提携契約専門の行政書士
遠藤祐二さんのインタビュー前編を掲載します。

人に歴史あり・・・
そんなことを感じるインタビューとなりました。



<< プロフィール>>

業務提携契約専門の行政書士
遠藤祐二

【略歴】 
1967年
東京都中野区生まれ 
1985年
横浜翠嵐高校卒業
1989年
中央大学法学部法律学科卒業 
1989年
NTT入社 
料金回収、システム販売営業を得て、マレーシアでのインテリジェント・ビルディングシステム構築プロジェクトに4年間従事。 現地での会社設立、契約交渉、各種事業ライセンス/政府優遇措置取得のためのマレーシア政府当局との交渉業務を一手に行う。
2001年
東京特殊電線株式会社入社 
法務担当として、海外/国内の契約交渉サポート、海外現地法人設立及び各種事業ライセンス/政府優遇措置取得のための関係当局との交渉業務に3年間従事。 
2004年
アルゼ株式会社入社 
ラスベガスのカジノホテルにスロットマシーンを販売するために必要な米国ネバダ州当局とのライセンス取得交渉業務及び訴訟対応業務に2年間従事。 
2006年
スミダコーポレーション株式会社入社 
中国、台湾における合弁会社設立、M&Aを多数手がける一方、 海外/国内に おける契約交渉サポート業務に3年間従事。 
2010年
行政書士試験に一発合格。マスター行政書士事務所を開設。

【保有資格】
・行政書士/知的財産管理技能士2級/日本行政書士連合会認定著作権相談員
・マイケルボルダック認定プロコーチ/日本メンタルヘルス協会公認カウンセラー
・国際航空貨物取扱士/貿易実務検定B級 /TOEIC 930点 /日商簿記3級 
・第2種衛生管理者/税務会計能力検定3級 

【趣味】 
◆フルマラソン ⇒次は3時間30分を目標タイムにしてます 
◆ソフトボール ⇒行政書士会のチームに所属。華麗なるセンターの守備と堅実な打撃が売り?
◆旅行 ⇒タイ、マレーシア、インドネシア等、東南アジア大好きです!
◆読書 ⇒潜在意識、心理学系が大好き!
◆セミナー参加 ⇒マーケティング、潜在意識、心理学系が大好き!
◆飲み会参加 ⇒一滴もお酒は飲めませんが・・・必ず参加します!^^終電を逃すこと多数(笑)





聞き手 まずは生い立ちからお伺いしてもよろしいですか?


僕は4歳頃から社会人になるまで、ずっと横浜が地元でした。
緑区というところで、のどかで名前の通り緑がいっぱいのところで、
虫取りなんかする活発な子どもでしたね。


聞き手 思い出深い部活や学生時代のエピソードを教えて下さい。


僕は中学3年間をブラスバンドに捧げていたんです。パートはホルンでした。
激しくて厳しくて怖〜い音楽の先生について、吹奏楽コンクールの全国大会を目指して、
競争の世界にさらされた3年間でした。毎日朝晩練習で夏休みなんて一日しか休めないような感じでした。
それが少しトラウマになってしまって、その後は人と競争するのが凄く苦手でしたね。


大学ではバイト仲間とサークルのような集まりを作って、とにかく皆で仲良くできることを
企画するのが得意でした。
企画の遠藤なんて呼ばれていたんですよ。


聞き手 卒業されてから、すぐに行政書士を目指されたんですか?


いえいえ、結構ここから歴史が長いんですよ(笑
僕が最初に入った会社は、NTTでした。
行政書士とは関係ない仕事です。

はじめての仕事は電話料金の回収担当だったんですが、ヤクザの組事務所の
電話を停めたら怖い人が窓口まで怒鳴り込んできて殴られたり
横浜なので外国人の方を相手にすることも多かったですね。
そこで、下手くそな英語を使って電話料金の支払督促をしたり、
電話の申込手続の説明をしたりしているうちに、
その営業所の外国人窓口みたいになっていって。
それが本社の耳に入って、ある時仕事でマレーシアに行ける事になったんです。
NTTに勤めて7年目のことでした。
電話料金の回収って、言葉だけ聞くときついだけで全然面白くなさそうですけど、
僕は面白くないことも面白くしたり、面白さを見つけるのが得意だったし、好きでした。
今はすぐに仕事を辞めてしまう若い人も多くいますよね。
それも一つの選択だとは思うんですが、
『面白さを見つけて』長く仕事を続けた先には、大きなチャンスが巡ってくることもあるんです。
面白さをみつけるセンスって、生きて行く上で絶対に必要なんです。
これは大きな学びでしたね。


聞き手 マレーシアではどんなお仕事をされていたんですか?


そうそう、マレーシアでNTTがなにをしてたかっていうと、
テレコムマレーシアという電話会社が新本社ビルを建てることになって
その全システムをNTTが作る事になって、
30人くらいのエンジニアが派遣されることになったんです。
でもその当時はマレーシアにNTTは会社もなかったものですから、僕が派遣されて
会社設立から始まって、テレコムマレーシアや下請業者との契約交渉、政府関係当局への
許認可申請・交渉そして現地の人と日本から派遣されたエンジニアの人たちの、やり取りの仲介役をしていました。
ここで僕の今の仕事の大きなキーワードである、『交渉』との出会いがありました。
もちろん英語ですべて対応するわけですから、戸惑いもありましたが、
マレーシアという他民族国家でコミュニケーションについて学べたのは僕の人生の中でとても大きなことでした。


聞き手 異国の異文化に触れたことで、ご自身に変化などはありましたか?



もちろんありましたね。
マレーシアでは過去に民族紛争が1度しかおきていないんです。
僕たち日本人はコミュニケーションはなんの為にとるかと聞かれると、
だいたいの人が「お互いをわかり合うため」と答える人が多いと思うんです。
でもマレーシアの人たちは、「あなたと私は違うということに気づくため」と答えるんです。
これって一見、「さびしい考えだなー」と思うかもしれませんが真理だと思うんですよね。
「お互いをわかり合うため」なんて言っているその潜在意識には必ず「相手を自分の思う通りに
コントロールしたい。」っていう気持ちがあるんです。マレーシアの人達はそれをよくわかっている。
そして、「あなたと私は違うんだ!」というところがまず基本にあるから、「じゃーその上でどうしようか?」
って知恵を一生懸命に絞り出す。
それこそが多民族国家で生きて行く知恵だということをマレーシアの人たちに教えてもらいました。
これは日本にいたら気付かなった考え方でしたね。

そしてもう一つマレーシアに行ってよかったことは、
NTTという、日本では皆が知っている会社の看板ナシでも、
『自分は仕事ができる、この腕一本で。』と思えた事です。
マレーシアで当時、NTTの社員です、なんて言っても、
「NECの子会社か?」
くらいにしか思われませんでしたから(笑
実はこの頃から、独立したいという気持ちが芽生えていました。


聞き手 4年間の駐在が終ったあとも、NTTにいらしたんですか?


そうですね。マレーシアでの4年間が終わり、帰国しました。
ところが当時のNTTは持ち株会社、西、東そしてコミュニケーションズと4つに会社がわかれたり、
とにかく体制がいきなり変わって、内部はめちゃくちゃでした。
帰国してからもマレーシアでしていたような、交渉の仕事をしたかった僕は、
なぜかシステム開発部に配属になってしまって・・・そこで転職を決めました。
当時は行政書士の資格はなかったですが、交渉の仕事が自分にあっている、
続けたい、という気持ちは、はっきりとありましたね。

転職した先は特殊電線を扱う会社で、そこで取引先との契約書を作成する法務担当として働き、
次の転職先のパチスロの会社では、ラスベガスにスロットマシーンを輸出するためのアメリカネバダ州の
関係当局との交渉を任されました。
大きな声では言えないですが、僕のいたパチスロの会社は危ない事もいっぱいしている会社で、
僕自身、多額の弁護士費用を支払って裁判ばかりしていましたし、100%自分の会社が有利になるような
理不尽で不平等な契約書をしょっちゅう作っていました。


聞き手 会社にとって大きな契約を任されておられたんですね。


もちろん最初は罪悪感があったのですが、そういう契約書を作れてしまうことに、
つまり自分にそういう強力な説得力や交渉技術がついてきている事に、
だんだん快感を覚えるようになってきてしまったんです。
「黒を白にするなんて簡単じゃん!」なんて錯覚することもよくあったんです。
正直『これはやばい』と思いましたね。
本気で『ダークサイドに落ちる』と思いました(笑
このころですね。現実的に資格を取って独立の準備をしようと決めたのは・・・。


聞き手 次回、いよいよ遠藤さん起業・・・!
半年間の独立準備期間の間、試験勉強とともに遠藤さんが実践したある行動とは・・・!?


| インタビュー記事 | 18:58 | comments(0) | - | - |
『もうやんカレー』代表取締役、辻 智太郎氏へインタビュー【もうやんカレーの味の秘密】
少し時間が空いてしまいましたが、
今日はインタビュー企画の記事を書かせて頂きました。

前回に引き続き 
『もうやんカレー』の代表取締役 辻 智太郎さんにお話を伺いました。

今回のインタビューでは、もうやんカレーの味の秘密に迫りました。
自称常連を謳うインタビュアー達が、辻さんを質問攻めにいたしました♪

家庭でも使える食材のアドバイスや、
お店の定番の味にたどり着くまでの地道な研究のお話などを中心に、
読みやすい長さでお届けします。

もうやんカレー公式サイトはこちら http://moyan.jp/




聞き手
私はもうやんカレーさんに結構頻繁に通っているのですが、
カレーの味を1年中一定に保つ事は、とても難しいと思うんです。
季節によって野菜の甘みが違ったりしますし、
どのように味を維持しておられるのかずっと気になっていたんですが、
教えて頂けますか?

辻さん
うちの場合は、野菜はいい時期に収穫したものを冷凍保存して、
1年通して使っています。
順次仕入れるのではなくて、質の良いものを、保存しておいています。
たとえばカレーに入ってる玉ねぎですが、新玉ねぎは水っぽくて使えないんです。
水分が多いから大鍋で炒めるときに跳ねちゃって、大変なんですよね(笑
そういう意味で季節や産地による野菜の状態を研究することはとても大切でした。
リンゴなんかは煮詰めてピューレ状になっているものを使っています。
煮詰めてあれば、鮮度も変わりません。
実はりんごは酸味の強いものが、カレーには適してるんですよ。
フライパンで炒めて、どのリンゴの、
いつ収穫されるものが美味しいのかを食べ比べたりしましたね。


聞き手
それでは、カレーにとってお野菜やお肉とおなじくらいに大事な
”スパイス”についても、
美味しさの秘訣があるのですか?


辻さん
スパイスもやはり同じで、いい時期に収穫されたものを冷凍保存しています。
僕の考えでは、カレーのスパイスは3つあれば充分なんです。
マサラとか、香りの良いものをいっぱい使ってあげるといいですね。
本来、カレー作りの行程からいうと小麦粉にバターを炒めて、
そこにスパイスをいれるんですが、
うちは温めた油にしみ出させる形でスパイスの味をだしています。


聞き手
スパイスの香りがしっかり油にしみて、あの風味ができているんですね。
やはり油にもこだわりがあるのでしょうか?


辻さん
油はオリーブオイルなんですが・・・
ここでちょっと家庭でも使えるアドバイスなんですが、
オリーブオイルは絶対1リットル2000円以上のものを使ったほうがいいですよ。
味が格段に違いますから。
スーパーなどでは安いオリーブオイルも沢山売っていますが、
これは確実に言える事ですね。
塩とか、油とか、世の中にはそれはそれは上質な、美味しいものがありますよ。
高いけど(笑
やはり商売をしている中で、上質なものに変にこだわりだしてしまうと、
本当に原価が上がってしまうんです。
だから良いものの味をキチンと知った上で、
一定以上のものを上手に選んで使うのが、僕はいいと思いますね。


いつか原価など関係なく、
「絶対にこれが一番ウマい!」という食材やスパイスだけで
究極のメニューを作ってみたいですね。

どなたか、パーティーのお料理などにいかがですか?(笑


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



如何でしたでしょうか?
次回をお楽しみにお待ち下さいませ。

| インタビュー記事 | 23:45 | comments(0) | - | - |
インタビュー連載Vo.2-2 『もうやんカレー』代表取締役、辻 智太郎氏
インタビュー企画第2回目は、前回に引き続き
『もうやんカレー』の代表取締役、辻 智太郎さんにインタビューをさせて頂きました。

前回のインタビューはこちら
もうやんカレー公式サイトはこちら







ー若い人の起業に関して辻さんはどうお考えですか?ー


起業するからには、儲けを出さなければ始まりません。ですから綺麗ごとばかりでは、始められない事だと思います。自分のやりたい事をやってそれが事業として成立すれば一番良いと思いますが、まずは始めた事業で自分がちゃんと生きていけるようにならなければいけませんから、本当に大変なことですよ。


ーなぜカレーのお店を開かれたのでしょうか?ー


もうやんカレーをはじめる前、僕はスポーツに関連の仕事をしていました。
トレーナーに近い仕事です。その経験から、スポーツにおいて食事というのは非常に大切な要素で、同じスポーツをしていても、食べているものによって出せるパワー、つまり体力が全く違ってくると知りました。
例えば、徹夜をして海に行って、サーフィンをするとします。その時、食べる朝食がマックなのか、モスバーガーなのか、フレッシュネスなのかでは全然効果が異なるということです。マックだと8時頃で体動かなくなります。モスとフレッシュネスは昼まで。ところが、家でしっかりしたものを食べれば、体力は夕方まで充分に持ちます。


食べるものとスポーツは非常に密接な関係があります。食べたものは全て自分の体になっているわけですから。


僕は昔、寮に住んでいまして、近くにある高級食材が売っているスーパーで値段を見ずに様々な食材を買ったんですよ。それを毎日調理して食べていたんです。
そして、ある時に、野菜を煮込みに煮込んで、ドロドロのカレーのようなものを作った事がありました。味付けは別として、それを毎日食べていたんです。さらに、当時は若かったこともあり、
面倒で、朝食は食べていなかったのですが、夕食が余っていたら自然と朝にも食べるようになりました。その、ドロドロのカレーのようなものをです。


そうしたら、すごく体の調子が良くなっていったんです。これは面白いなと思って料理について本格的に勉強をしていったら、体がよく動く料理が野菜たっぷりの”カレー”だと解ったんです。
自分が作っていたのは、カレーだったんだと、その時に解ったんですね(笑)
それから毎日研究して、体によいカレーを作っているうちに、トレーナーの間でも人気メニューになって。だんだんこれで商売が出来ないかなって思い始めたんですよ(笑)


こうしてカレーに出会ったとき、子供のころ親の健康食品店を手伝いながら、さんざん『将来は自分で商売しろ』と言われていたのを思い出しましたね。そこから起業を真剣に考えるようになりました。
それから毎日のように、夕食はカレーを食べにいって研究しました。そこで一つの気づきが生まれました。それは『日本のカレーは毎日食べられる』ということ。例えばインドカレーを、日本人は毎日、食べられないんです。おいしいけれど、毎日は受け付けられなくなる。

でも、日本のカレーは日本人の風土や食文化に合っているということを、様々な研究を進めるうちに自分なりに確信しました。

この商売なら一生涯の仕事に出来る。いや、してみせる。 そこからは、日本のカレーをとにかく調べて調べて調べぬきましたね。

これが、僕がこの店を開く、このビジネスを始めたスタート地点の話です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

インタビュー連載Vo.2-2いかがでしたでしょうか?
シェア、コメント、お待ちしております!


| インタビュー記事 | 01:10 | comments(0) | - | - |
インタビュー連載Vo.2-1 『もうやんカレー』代表取締役、辻 智太郎氏
インタビュー企画第2回目は、
『もうやんカレー』の代表取締役、辻 智太郎さんにインタビューをさせて頂きました。

厳選された野菜と25種類以上ものブレンドスパイスを使い、完成まで2週間をかけて作るカレーは、まさに健康食品と言えます。記憶に残る、価値のあるカレーを提供し続け、現在都内に6店舗を構える『もうやんカレー』。今回はその誕生の秘密、起業に至るまでの辻さんご自身の物語を御伺いしました。
http://moyan.jp/



起業に至るまでに様々なことがあったと思います。
起業される方の中には、親御さんが起業家で幼い頃から影響を受けていた、という方も多くいらっしゃいますが、辻さんのお父様はどんな方でいらしたのですか?


今の商売をするにあたって、親の影響は大きいですね。うちの父は関西の三重県出身で、母は東京の人です。父は東京に出てきて建築の仕事をした後にゼネコンに入って働き、若い頃にかなり良いポジションについていました。父は当時、年齢の割にとても優雅な生活をしていたと思います。ですが仕事の都合上、食べたり飲んだりが多くなってしまい、凄く太ってしまいまして。そしてついに身体を壊してしまったのです。

元々父親は柔道・剣道・空手、全部3段以上もっている格闘家だったのですが、盲腸になってもメスが通らないような状態でした。それがまだ29歳くらいでした。それでお医者さんに「このままの生活をしていたら死にますよ。」と言われて・・・・・

そんな時、父は当時ではまだ珍しかった食事療法というのに出会いまして、食べるもの、飲むもの、体に入れるものを良くしないと健康状態は良くならないという事を学びました。

そしてそれを真摯に実践していったのです。そうしたら、薬を飲んでも回復しなかったものが、みるみる良くなっていった。それで命を救われたんです。

そして食事療法に魅せられた父は、会社を辞めて健康食品のお店を始めました。それは僕が小学校4年生の時ですね。そこで一気に生活スタイルも変わりましたね。当時は100畳以上ある広い家に住んでいたのですが、会社を辞めた途端に20畳足らずの狭い家に家族全員で住むようになりました(笑)

それがまた商売が上手くいけばいいのですが、ゼネコンで大金を扱っていた父がいきなり100円200円の仕事なんて出来ないんですよね。だからあっという間に、お店の経営は期待に反して悪く成っていきました。商売は商売だから、お金にならなければ仕方がないですよね。

人出が足りないっていうことで、学校に行く前にタマゴを運ばされるなど、僕自身も色々やらされました。ただ、バイト代として一日50円お小遣いを貰っていました。小学生だったので意外と嬉しいものでしたけどね。

当時は毎日、仕事の事について父から聞かされていました。小学生だったので、さっぱり分からなかったですが(笑)。でもレジを打ったり売り上げを計算したりしているうちに、お金がどう動いているのかを体感しながら学ぶことが出来ていました。そのせいか、小学生ながら金銭感覚は人一倍ありましたね。

当時僕の周りではゲームが流行っていて、5000円するゲームウォッチというゲームが欲しかったのです。そこで5000円を捻出する為には何をしなければならないのかを考えたりしていました。どれだけの事をすれば5000円にたどり着くのかを考えていました。そのときに一万円を稼ぐ事は大変な事なのだと知りましたね。

当時のその経験は今に繋がっていますか?

繋がっています。
当時は食べるものが全然なかった。だからお店で売れなくなった、余った食材をよく食べていました。賞味期限切れの食材はすっぱくなって、食べられたものじゃないですよ。うちは無農薬のものを扱っていたので、悪くなるのも早かったのです。それをいかに上手く調理するかをいつも考えていました。当時は祖父がうまく料理してくれていましたね。
お金も無かったので誕生日プレゼントも買ってもらえなかったです。でも、無いなりの工夫を覚えましたね。日本は豊かですからお金があれば何でも食べることが出来るし、買えますが、逆にお金がないと何も出来ないんですよね。
人に寄付する事も出来ないし、何かを教える事も出来ない、与える事が出来ない。 無い無いづくめです。まずは自分がご飯を食べていないと何も出来ない。
当時のこういった経験は、起業する上でのハングリー精神になりましたね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

インタビュー連載Vo.2-1いかがでしたでしょうか?次回も金曜日に更新致します。シェア、コメント、お待ちしております!
| インタビュー記事 | 22:37 | comments(0) | - | - |